大学はもともと就職予備校です

大学の起源・歴史から大学の存在意義を考える

最終更新日:2017年4月23日

「大学が就職予備校化している」
「学問をするために入ったのに」

といった話をたまに聞きますが、ちょっと違和感を感じます。
なぜなら、大学は生まれたその当初から、就職予備校だから。

現在の大学に直接つながる近代的な大学は、中世ヨーロッパで始まりました。
学問所なら古代ギリシャのアカデメイアとか、日本でも空海の綜藝種智院がある。
あくまで現在の「大学」につながるということで。

中世ヨーロッパの学問は「神学」「哲学」「法学」そして「医学」がメインでした。
経済学はまだないんですね。
自然科学はすべて「哲学」の一分野でした。

12世紀から13世紀には大学が始まります。

法学はボローニャ大学
神学はパリ大学

ボローニャ大学は学生の集合体でした。
キャンパスもない。
みんなでお金を出して、教師を雇った。
運営も学生。
単位を取って卒業というシステムはない。
教授陣に認められると、自分も助教授になれるとか、教授の職業組合に加入できる。
それが学位。
学位取得できるのは1割未満で、学位を取ると言うことは今でいうと博士号を取るようなもの(博士号は別途ありますが)。
10年から15年かかります。
一生学問をして生きていくと決めた人たち。

ほかの人たちは、裁判官や政治の世界で働く。
あるいは公務員として働く。
大学で学んでいなければ、これらの職につくことは難しい
法学関連の職に就くための予備校です。

一方パリ大学は、教授が主導権を握った大学。
学位を授けるのは教授、カリキュラムをつくるのも教授、現在の大学の元となったのはパリ大学でしょう。
制服もあったので、ハリーポッターの学校もパリ大学がなければなかったかも。
こちらは教授も学生も多くが聖職者の身分を持っていて、教会で偉くなるならパリ大学で認められないといけない。
聖職者の予備校です。

ほかには、英国のオックスフォード大学、オックスフォードから派生したケンブリッジ大学。
フランスのモンペリエ大学もあります。



中世から近世の思想家の多くは貴族の家庭教師をして生計を立てていたけれど、大体大学で学んでいます。
なかには、ジャン=ジャック・ルソーのような独学で学んだ人もいたけど。
現在でも、中卒や高卒で東大教授になったなんて人もごくまれにいますね。

現代の大学はどうでしょう。

実態はあまり変わっていないような気がします。
でも、良くも悪くも裾野が広がっちゃった。

一生を学問に捧げると決めた人は、院に進学し博士課程に進みます。
そうでは無い人は、4年間学校で学ぶわけですが、メインの動機は学問ではなく就職です。
動機が「4年間遊ぶため」であっても、大学側がそれを受け入れているのであればいいのではないでしょうか。
良くも悪くも、大学運営がビジネスになってしまっていますから。
慶應義塾には「幻の門」があります。

門とはいっても、門柱しかない。
学問への扉は万人に開かれている、という意味もあるそうです。
ところが現在、かつて幻の門があったところには、巨大な東館(東門)が建っています。
これ以上無い位立派な門。

「万人に開くのはやめた」という意思表示なのかと邪推してしまいます・・

学問を続けると決めた人は、大きなリスクを負ったうえでその道を選んだ人たち。
博士課程に進んだからといって、教授職に就けるわけではありません。
「教授職」も職だと考えると、これも一種の就職予備校ですね。

そう思うと、生計や将来の進路に関係なく、純粋に学問を楽しむことができるのは、通信生なのかもしれません。
安定した教授職を手に入れた方々のほかには。

「大学が就職予備校ではなく、純粋に学問をするところであって欲しい。」
というのは、たしかに理想です。
ですが、そのような大学に、学生が集まるでしょうか。
就職の手伝いは一切してくれない。
結果的に就職率も低い。
卒業後に院への進学や教授職を得る保証はない。
ただ4年間学問だけをする大学。
そこを選ぶ学生は、ほとんどいないでしょう。

でももしあったら、私はそこに行きたい。