ビルマ現代史の概要とアウンサンスーチー

アウンサンスーチーが来日したので、ミャンマー政治史をまとめ

最終更新日:2017年4月9日

フィリピンのドゥテルテ大統領に続き、ミャンマーのアウンサンスーチー氏が来日しました。
民主化されたとされるミャンマー。
そしてアウンサンスーチーとは何者なのか。
ミャンマー(ビルマ)の現代政治史をまとめてみました。

ミャンマーの基礎知識

国名の変遷
1948年〜1974年:ビルマ連邦

1974年〜1988年:ビルマ連邦社会主義共和国
1988年〜1989年:ビルマ連邦
1989年〜2010年:ミャンマー連邦
2010年〜:ミャンマー連邦共和国

※軍事政権を認めない立場の人々は、今でも「ビルマ」の呼称を用いることがある。私が講義を受けた国際政治学の教授もビルマと呼んでいました。

首都:ネーピードー(2006年まではヤンゴン)
人口:5,000万人
経済:1人あたりGDP 約1,740ドル
民族:ビルマ族、シャン族、カレン族
宗教:仏教90%
公用語:ビルマ語

ネーピードーは田舎です。
軍事政権や権威主義体制が首都を未開の田舎に移転するのは定番です。
ブラジルのブラジリアもそのようにして生まれました。

ビルマ独立前の歴史(政治史)

バガン王朝 9世紀頃から14世紀頃

  • ・ビルマ族による王朝
  • ・仏教を国教とする

コンバウン王朝 1752年〜1885年

  • ・イギリス・ビルマ戦争で滅亡し、英領インドの一部になる

イギリス占領 1886年〜1947年

  • ・米の産地になり稲作が盛んに
  • ・インド南部のイスラム教徒を労働力として強制移住し、後にロヒンギャ・ベンガル問題となり現在も深刻化している。
  • ・大学が創設されビルマ人エリートが出現、青年仏教徒連盟なども加わり、独立運動が活発化する。
  • ・1935年 イギリス直轄植民地である英領ビルマとなる。
  • アウンサンらが参加するタキン党が結成
  • ・第2次大戦中、タキン党と日本軍が連携しビルマ独立義勇軍を設立する。
  • ・次第に日本軍と対立。アウンサンは「反ファシスト人民自由連盟」の議長になる。
  • ・日本が敗戦し、イギリスの再植民地化
  • ・1947年 イギリスのアトリー首相とアウンサンが独立協定に調印
  • ・1947年 アウンサン暗殺される 救国の父、独立の父としてカリスマ化
  • ・1948年 ビルマ連邦共和国として独立

ビルマ独立後の歴史(政治史)

民主主義の時代 1948年〜1962年

「議会制民主主義の時代」

  • ・カレン族や共産党による武力闘争が頻発
  • ・1962年 革命評議会議長ネ・ウィンによるクーデター勃発

ネ・ウィン体制軍政時代 1962年〜1988年

  • 社会主義国家となる
  • ・1974年 ビルマ連邦社会主義共和国へ
  • ・「マサラ党」の一党独裁
  • ・1988年 民主化運動が始まる

第二次軍政 1988年〜2010年

  • 1989年 クーデター
  • ・民主化運動を武力弾圧
  • ・複数政党制が導入される
  • ・国民民主連盟 NLD(アウンサン・スーチー党首)設立
  • ・アウンサンスーチーの自宅軟禁開始
  • ・1990年 選挙によりNLDが圧勝
  • ・1991年 アウンサンスーチーがノーベル平和賞受賞
  • ・1997年 ASEAN加盟
  • ・2007年 サフラン革命
  • ・2008年 憲法制定
  • ・2011年 民政移管

アウンサンスーチー

独立の父アウンサンの娘アウンサンスーチー
政治運動に関わる前は、イギリス人の配偶者と子どもと共にイギリスで暮らしていた。
政治の舞台に出てきたのは1988年、民主化運動が最盛期を迎えていた時期となる。

独立の父の娘であるというカリスマ性だけがアウンサンスーチーを民主化のシンボルとしたわけではない。
アウンサンスーチーには兄もいるが政治には関わらなかった。

ひとつには「民主化」を求めながらも、「民主化」とはなんであるのか、軍政や社会主義下にある民衆には理解できていなかったということがある。
イギリス帰りのアウンサンスーチーはインドで政治学を学び、ガンジーの非暴力非服従運動を知る。
イギリスではオックスフォードで哲学・政治学・経済学を学んだ。
アウンサンスーチーの演説は、民主化がなんであるのか民衆にとってわかりやすいものであった。

独立の父アウンサンの娘であるアウンサンスーチーが民主化運動をはじめた。
アウンサン将軍は軍人であり、立場でいえば軍政側にある。
軍政の思想上のトップにあるアウンサンの後継者である娘が、民主化の旗印となった。
民主化運動にとって、これほどのカリスマシンボルは存在しなかった。

もうひとつの理由として、ミャンマーに存在する「パトロン・クライアント関係」がある。
日本の「ご恩と奉公」に似ている。
トップから個人と個人が末端まで繋がる。
上位にあるものは「パトロン」となり経済や生活上の保障をする。
「クライアント」はパトロンに従属することで応える。
民主化のような運動がおこなわれるということは、パトロンがパトロンの役目を果たしていないということの現れである。
そこに新たなパトロン候補として登場したのが、アウンサンスーチーであるといえる。

2015年11月の選挙によりアウンサンスーチーのNLDが圧倒的な勝利を収め政権を取得した。
アウンサンスーチーの「私がすべてを決定する」という発言や、憲法の無視、ロヒンギャ問題への対応は、民主化ではなく権威者が交代しただけではないか?といった評価もある。

しかしながら、まだ政権について1年。
旧政権の既得権益者もまだまだ多い。
またアウンサンスーチーのほかに政権を担えるだけの政治家も育っていない。
理想と現実には大きな乖離があり、ミャンマーが「民主化」を達成したのかどうかの判断は、まだ待つ必要があるように思う。

ちなみに、アウンサン・スーチーという表記は誤り。
アウンサン将軍の娘であっても、アウンサンは姓ではない。
ミャンマー人には姓が存在しない。
アウンサンスーチーで1語の名前となっている。

アウンサンスーチーが政治に関わるきっかけや政治活動については、映画アウンサンスーチーを観るとよくわかります。
ちょっと恋愛要素が強いですが、いい映画です。