東洋経済の記事「LGBTの『アウティング』は暴力的な飛び道具だ」を要約し

【記事要約】LGBTの「アウティング」は暴力的な飛び道具だ-恋の告白を「命がけ」にしない社会をどう作る

最終更新日:2016年10月25日

記事要約

性的マイノリティであるLGBT。 自ら性的嗜好や性自認を表明する「カミングアウト」のほか、本人の意思に反して誰かが言いふらしてしまう「アウンディング」がある。
今年、想いを寄せられた同級生がSNSでアウンディングをしたことで、法科大学院生が自殺をした事件があった。
同級生と大学を相手にした損害賠償請求は係争中である。
学校や職場という「生活圏」で生きにくい状況となるダブルバインドの問題があり、言っても言わなくても苦しい状態が続く。
個人では到底解消できない社会的偏見は自己解決が困難であり、学校や職場などを含めたひとりひとりの協力が不可欠である。

元記事

東洋経済オンライン「LGBTの「アウティング」は暴力的な飛び道具だ - 恋の告白を「命がけ」にしない社会をどう作る」

私見

LGBTの認知はだいぶ広がったが、まだまだ彼らにとって苦しい状況が続いている。
社会は法と相互関係にある。
社会状況が法をつくり、法が社会状況を誘導することもある。
法が、法律婚を異性婚に限定している点にも大きな問題がある。
同性婚を認めれば、社会状況は大きく変わるに違いない。
しかしながら、憲法24条の改正が必要であり(※後述)、簡単な道のりではない。
夫婦別姓と同様かなりの反発が予想され、また自民党は家族制度を復活させたいので、おそらく同性婚のための憲法改正は難しいであろう。
法からのアプローチを先行させるのが難しいのであれば、やはり社会を変えていくほかない。
となると、やはり一人一人の意識改革が必要である。

私はノンケ(異性愛者で、性自認と戸籍上の性と身体上の性が一致している)ですが、異性愛者の友人もいるし、まったく問題がないと思う。
おっさんである私が18歳の少女に愛の告白をしても断られるのと同じように、私が男性から愛の告白をされても断ります。
性別は、恋愛相手の選別に関わる要素のひとつでしかなく、法で規制したり、社会から排除していいものではない。
一人一人の勇気ある行動が社会を変える一要因となるのは事実であるが、その行動自体が難しい社会状況であり、ある種のジレンマがあるといえる。
渋谷区のパートナーシップ条例のように、自治体や大企業など社会的な影響力の強い存在が率先して行動する必要があると思う。

ちなみに、個人的には、法律婚制度自体が時代遅れであると思っています。


記事に出てくる事件をみてみると、SNSでアウンディングをしたのは、告白をされた友人である。
法科大学院という法曹を目指す学生しかいない場所でこのような事件が起きたのは、非常に残念。
ただ、友人の立場としても複雑で、記事になるように告白をされた人も孤立していく状態にもなり得るため、学校という社会や共同体内での啓蒙が必要なのであろうと思う。

決して他人事ではなく、ひとりひとりが自分で考えていくことで少しずつ変わっていくように思う。


憲法24条1項 「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」

EMA日本のホームページでは
憲法は、同性婚を禁止しているのではないですか?

>憲法第14条1項は「法の下の平等」を定めています。このことから、異性カップルにのみ結婚を認め、同性カップルに認めないことは憲法の理念に反すると考えられます。
>さらに、第24条2項の「個人の尊厳」、第13条の「幸福追求権」、第14条1項の「性別に基づく差別の禁止」などの規定も、同性婚を支持すると言えます。

とありますが、憲法の条文の例外を同じ憲法の他の条文で設けるのは普通におこなわれており(立法権など)、同性婚を認める根拠とはなりません。
現在の条文から同性婚を認めるのは、無理があると言わざるを得ないでしょう。

ただそうであっても、憲法13条はほかのすべての条文に優位する根本的な規定であるとする説もあります。
そうであれば、同性婚が認容される余地はあります。

また、仮にどこかの役所が同性同士の婚姻届を受理したとして、それに異議をとなえられるのは誰なのか。
誰に原告適格があるのか。
日本司法は抽象的違憲審査権を持たず、同性婚に対する決定が違憲であるのかどうかは、具体的な争訟にならなければ俎上に乗りません。